山梨県の御坂峠から見た富士山。
日本一高い山といえば富士山。その高さは3776m。周りの山々は3000mも高さがないので関東のどの県からもだいたいは見ることができる。そしてわかりやすく美しい形をしているので見たことのない人でもあれが富士山だと思うのだ。
特に春夏秋冬と季節のかわりにみせる美しさは飽きることがない。過去にはあの葛飾北斎も富士山に魅了され富嶽三十六景という様々な富士の顔を絵に納めたほどだ。今では北斎の代表作にもなっている。
多くの人々が富士山に魅了され虜になってしまうほど美しいのだ。
さて、そんな富士山が何故ここまで高くなったのかを調べてみよう。
富士の歴史(年表式)
約200~300万年前
富士山周辺は海であった。(今の山梨県の県庁所在地である甲府盆地も海の中だった。)
約70万年前
愛鷹火山と小御岳火山が今の富士山の両脇に存在し火山活動が始まる。
約8万年前
愛鷹火山、小御岳火山の両火山とも活動が終わる。
約8~1.5万年前:
両火山(愛鷹火山、小御岳火山)が生成した大地の間に古富士火山ができ、火山活動を開始。
その後古富士火山から流れ出た溶岩は愛鷹山と小御岳山にせき止められ、また両山の土台に積み重なり、高度を上げていった。その高さおよそ3000メートルにも達したと言われている。そこで新しくできたのが新富士火山の誕生である。
この頃、現在の河口湖、本栖湖、西湖、精進湖が一緒になった「せの湖」と呼ばれる湖も出現し、東には山中湖と忍野が一緒になった宇津湖が横たわっていた。
約1.1万~7千年前
新富士火山の噴火が始まる。これにより、富士山はもっと高度を上げていったのだ。
その時の溶岩は約20キロにも進み、現在の大月付近にも達したという。そして、その溶岩により宇津湖が干しあがり忍野八湖と山中湖へと姿を変えることになる。同じくこの頃に河口湖も現れた。
約5千~3千年前
溶岩流はせの湖へと伸び本栖湖を形成。
この時の富士山は現在の富士山の形に近くなっていたという。
864年頃
富士山麓の長尾山が大噴火し、その溶岩は「せの湖」を2分して西湖と精進湖を作った。そして広がった溶岩の上に広大な青木ヶ原樹海が誕生する。それは、長尾山噴火から約1000年が経ってからだという。
1707年12月16日
宝永山により噴火が始まった。この噴火は溶岩は流れず、火山灰や火山弾を放出した噴火であった。8日間噴火した後、次第に衰え翌年の1月1日には止まったという。
「宝永山とは:富士山の南東斜面にあり標高2500m付近にある富士山にできた寄生火山なのです。
山梨県側からだと見にくいが静岡県からみると富士山の右側に少し飛び出ている山が宝永山になる。」
現在
噴火から約300年が経つ。富士山周辺では観光客も多く、登山客では年々増え続け2010年で25万人を超えているみたいだ。
今では山梨県と静岡県で富士山を世界遺産に登録できるよう頑張っている。世界遺産になれば今よりももっと観光客で賑わうことになるだろう。だが人が増えれば増えるほど禁じられている行為(植物や鉱物の違法な採取)も増えるしゴミも多くなることだろう。周辺に住む住民はうれしい反面不安も大きいのだ。
小言だが‥
富士山と言えば静岡県と思う人は数多くいるだろう。でも富士山は静岡県と山梨県の県境に存在するのだ。これは常識だが知らない人が多すぎる。富士の樹海と富士五湖も山梨県にある。富士五湖の本栖湖から眺める富士山の絶景は千円札の裏にも載っているぞ。山梨県に行ったことのないと思う人で過去に富士山を見に行ったことのある人は、どの場所から見たのか良く調べてみてほしい。きっとそこは山梨だったんじゃないだろうか。
ちなみに富士山の頂上はどの県にも当てられていない。要するに日本国富士山山頂だと思う。
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