ロバ、凧を揚げる。
「一富士二鷹三茄子」(いちふじにたかさんなすび) これは江戸時代から伝えられている初夢に出てくれば縁起が良いという諺になる。俺もこんな夢をいつか見ようと考えているが、毎年見ることができない。というか覚えていないから見ているかもしれないが…前向きに言ったらたぶん毎年見ている。
ところで、この詩には続きがあるらしい。「四扇五煙草六座頭」(しせんごたばころくざとう)と続いていて「扇」(おうぎ)は涼しむことだけではなく、祭礼、舞踊の小道具として、「煙草」は酒と同じく祭りや祝い事などで人々が集い、雰囲気を和ませたりすることを意味し、「座頭」は琵琶法師の座に所属する剃髪(ていはつ)の盲人のことを言い、近世では琵琶や三味線などを弾いて歌い、物語、按摩(あんま)、針治療、金融などを仕事としていた人だという。
一富士二鷹三茄子にもそれぞれ理由があるが、「富士」日本一の山、「鷹」掴み取る、鳥の王者、「茄子」初物、値段の高い高級品(昔は)、成す、成しとげる。など縁起の良い物事を例えている。
だが、一説によると、徳川家康の住んでいた駿河国(静岡県中央部)の名物を高い順にあげたという。しかも、鷹は鳥ではなく静岡県にある愛鷹山(あしたかやま)のことを指ているようだ。
「一富士二鷹三茄子四扇五煙草六座頭」全部夢に出たら宝くじ買うべし!!
凧揚げについて
子供のころ、よくやった遊びだが今では見る影もなし、寂しい時代だ。
日本で凧揚げが正月の遊びになったのは江戸時代後期のことだという。もともとは中国から来たと伝えられているらしく、中国では宗教、戦具などにも使われたという。
凧の起源はまだ解明されておらず、現時点でわかっているのは西暦前300年~400年とも言われている。しかもアジアだけではなく世界中で昔から存在していたらしい。
日本においては、江戸時代前まで貴族や武士の一部でしか遊ばれていなかったが、江戸時代にはいると、一般の大人や子供までが遊ぶように流行りだし、烏賊(いか)型の凧や金銀を散りばめた豪華な凧など、様々な凧が現れたという。明治になると、電線や建物が多くなり、自由に凧を揚げることができなくなったという。それは、現代も同様で環境が変わるたびに遊べる場所が無くなり、どんどん凧揚げは衰退していった。(日本文化いろは辞典参照)
だが、現在も、凧を作る職人は残っており、今では、日本だけに限らず、世界中の子供たちに凧の作り方などを教え、イベントを開催している人もいる。→ http://kobo-toki.com/
日本の伝統「凧揚げ」は少しずつ世界へ広がっているのだ。
ちなみに、凧揚げを、関西の方言ではイカ揚げ、イカのぼり、と言われており、凧揚げは関東の方言だという。イカやタコの由来は凧が紙の尾をたらし、空に揚がる姿から「蛸」や「烏賊」に似ているという説があるようだ。長崎では凧のことを「ハタ」といい、旗揚げ大会が開かれているという。
(ウィキペディア参照)
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