ライオン=食肉目 ネコ科 ヒョウ属
英名:Lion
学名:Panthera leo
生息地:中央アフリカ、アジア(インドのジル国立公園)
食べ物:動物食(シマウマ、ヌー、インパラ、スイギュウなど)鳥類、爬虫類、昆虫なども食べる。
寿命:野生3~6年、飼育約20年、長寿記録30年
体長:1.7M~2.5M 体重:オス150~250kg、メス120~185kg
特徴:オスメスともに全体が黄褐色、オスには赤褐色のたてがみがありメスにはない。
生息状況:絶滅危惧Ⅱ類
別名:獅子(和名)
百獣の王になるまでの過酷な道のり。
生態
ライオンはアフリカとインドのある地域にしか野生で存在していない。だが、一昔前までは西ヨーロッパからインドまでのユーラシア大陸、そして、ユーコン~ペルーまでのアメリカ大陸にも存在していたらしい。
ライオンの生態はネコ科としては珍しく、血縁関係のあるメスとその子どもが長期にわたり社会的な結びつきをもつ「プライド」という群れを作って生活をしている。
「プライド」という群れは、オス1~6頭、メスと子どもが5~15頭のグループからなっている。その中で小規模なグループに分散して生活をしている。プライド内のオスたちはゆるい連合体をを作り、外敵からグループを守り、他のオスグループから、メスを守る役目がある。縄張りは約20~400平方キロメートルを形成し、吠えたり、尿を撒いて臭いをつけることで主張している。メスは基本的に子どもを育てることに専念し、メスの集団で狩りをおこなう。狩りの仕方は草むらの中で身を隠しながら、獲物の近くまでできる限り近づき、初めに一頭のメスが獲物の隙を見て走りだし、それを見てその他のメスたちも一斉に走り出して最初に獲物に追いついたメスが前足で強力なパンチをし首や背骨を折って倒し、または首などを噛んで窒息させる。ライオンの獲物となるほとんどが小さくて遅い子どもを狙っている。これは成人した獲物を狙うにはリスクが高く、逆に傷を負うことがあるからだといわれている。狩った獲物はメスたちが食べ始めるが、オスが獲物に近づくとメスや子どもたちを追い払われ、オスが食べ始める。腹が満足したらオスは唸り声をあげ、メスたちもまた獲物を食べ始めることができる。だが、そのほとんどは食べられるものが残っていないので、メスたちはオスが来る前にできるだけ獲物を食べ続けるという。ライオンのスピードは約時速58キロメートルで走るが、獲物となる草食動物の平均時速は約60~90キロメートルと早い動物が多い。そのため、獲物を狩れる成功率は約20~30%とかなり低い確率になり、ライオンの子どもも餌に有りつけずに死亡する確率もとても高いという。餌だけのせいではないが、ライオンの子どもが2歳になるまでに死亡する確率は80%もあるという。
繁殖期になるとメスたちはオスを誘い、オスは数頭のメスたちと交尾をする。オスは最高で1日50回交尾することもあるという。そして、一回の交尾時間はなんと約20秒と早いようだ。
妊娠期間は110~120日間になり、出産はプライドから離れ1回に1~6頭の子どもを産む。授乳期間は7~10ヵ月になり、メスは同じ群れの子どもも一緒に育て、自分以外の子どもにも授乳することがある。幼獣は生後約3ヵ月で肉を食べられるようになるが、餌に有りつけない、外敵、他のグループのオスなどに殺されることがあるため、生後1年以内で死亡する確率が60%、生後2年以内で死亡する確率が80%以上と成獣になる確率はかなり低いという。ちなみに、オスは4~6年、メスは約3年で成獣となる。
生まれた子供たちはオスだと2~3歳でプライドから追い出され、メスはプライドの規模がその地域で、適正な個体数を超えると2~3歳で追い出されるようだ。追い出されたメスは姉妹や他のメスたちとでちいさなプライドを形成し、オスは放浪者として彷徨うか、リーダー不在のプライドに入れてもらうか、ほかのオスグループのリーダーと戦いそのグループを乗っ取るという3つの道に別れており、どれをとってもオスには険しい試練が待っている。そして、どちらにせよ最終的にはメスグループを引き連れるプライドに加わらなければ生き残る確率はとても低い。
追い出されたオスは同じように追い出された兄弟や従兄弟たちと放浪生活を共にすることが多い。オスたちが成長していくにつれ、どれかの集団(プライド)に迎え入れられるわけだが、簡単にはいかない。
基本的にプライドでは数頭のオスを中心とした、数十頭のメスと子どもたちによって形成されているオス社会のようにも見えるが、実はメスたちが中心となる母系社会だという。これは、血縁関係のあるメスたちと子どもたちで形成され、オスは基本的に外部から迎え入れる形で加わっている。その際にメスたちが外部から来たオスを値踏みして、強くて外敵から自分たちを守ることのできるオスを判断しているのだという。プライドから追い出された若いオスはメスたちの値踏みに合格しないと一生放浪生活しなければならなくなるのだ。値踏みによる判断は基本的に外見で判断するらしく、その材料はオスのタテガミの色が濃く、ボリュームがあることが条件のようだ。そして、場合によっては強さを知るために他のグループのリーダーと戦わせることもあるようだ。
ライオンの習性で外部から来たオスがグループのリーダーと戦い勝ったとき、そのグループの子どもたちは新しいリーダーに殺されることが多い。これはライオンの「子殺し」としても有名だが、オスのライオンは自分の子ども以外の子ライオンをライバルとみなして殺す習性をもっているため、メスたちにとっては、強いリーダーがいれば安心して子育てに専念できることもあることから、メスたちは外部から来たオスに対しては慎重に値踏みをしなくてはならないのだ。
たとえばこんな事例もあり、外敵や何らかの災害で集団からオスがいなくなると、そのグループは存続の危機に陥るが、そこで、放浪していたオスライオンがグループに入ろうとする。これは、子を持たないメスライオンにとってはプラスになるが、子育て中のメスライオンにとっては脅威になり、母親たちは子どもを連れてグループから出ることになる。こうして、集団は分裂することもあるのだという。
ちなみに、ライオンは夜行性で一日の大半を寝てすごし、起きている時間は4~5時間程度という。たまに一日中を狩りにつかうこともあるようだが、これじゃあ群れを守れんぜよ…。
ライオンと人間の歴史
ライオンは古くから人間と深い関わりがあった。とくに猟をする獣として重視され、多数のライオンが飼われていたという。アレクサンドリアでは狩猟の女神アルテミスの祭典で、飼いならしたライオンやチーターに街中を行進させる儀礼があったほどだ。またローマのアントニウス帝はライオンを訓練し二輪戦車を引かせるようにしたとされている。さらに、プリウスの博物誌では前一世紀にライオンの群れと人間を戦わせる見世物がローマで始まったとされ、将軍スラはオス100頭、カエサルはオスメス400頭のライオンを闘技場へ放して、剣闘士グラディアルと戦わせたらしい。
獣類中でもっとも勇敢でもっとも高貴な性質をもつとされるライオンを「百獣の王」とする伝統が古くからあり、エジプトでは太陽または夏の象徴として、またアッシリアの各王朝では国王がみずから狩る獲物としてもあったようだ。ライオンの目には巨大な力が集まっていると言われており、ライオンは寝る時も目を閉じないと信じられていたようだ。そのため、ライオンは見張り番の象徴とされ家の門やトビラにはライオンの彫刻が飾られるようになったという。
また、ライオンの子は生まれて3日間を仮死状態で過ごし、やがて両親の吠え声で目を覚ますといわれ、これをキリストの復活になぞられ、ライオンはキリストの聖獣とみなす伝統が中世で形成されたという。またキリストの寓話ではライオンに関する話が多く語られていた。深手を負ったライオンはサルを食べて傷を癒し回復したとか、山の頂上に住み下界を見据え、その目で睨んだ獲物はすくんで動けなくなるなどと、確かにありそうな光景が浮かび上がる。ライオンの話はこれだけじゃなく、中世の博物学者バルトロミオは、ライオンの脂肪には毒があり、毒蛇や毒虫に噛まれたときはこの脂肪を患部に塗るといいといっている。またその脂肪をバラの花からとれる油と混ぜれば美顔剤になるともいわれていたようだ。もっと奇怪な話もあり、ルネサンス期の奇書によれば、服をライオンの皮で包めば虫がつかない。そして、ライオンの肉を食べると悪夢から解放される。また、敵をすみやかに葬り去るにはライオンの胆汁を混ぜた飲み物を飲ませるといいなどと…。
ライオンはアジアでも重要な地位になっている。とくにスリランカなどでは国旗に剣を持ったライオンの絵が描かれているほどゆかりの深い国になる。スリランカの最初の王シンハラはライオンの孫だと伝えられ、もとの国名セイロンの意味はシンハラを語源とし、シンハとはサンスクリット語でライオンの意をもっているという。日本でもかつてはセイロン王国を獅子国、執師子国、師子国などと表記したという。だが、本当はスリランカにライオンは生息しておらず、インドに分布していたインドライオンのことになる。これはその昔、インド、バンガ王の王女がライオンにさらわれ二人の子を産んだ。その兄シーハ・バーフは出生の秘密を知り、父であるライオンを殺し、妹であるシーハ・シーバリーと結婚をして王制をしいた。やがて、ライオン殺しにちなみ「シンハラ」と呼ばれるようになったシーバは子どもができ王子ビジャヤに恵まれる。だがビシャヤは手の付けられない暴れ者であった。その凶暴性に耐えかねた村民の要求をのみ仕方なくビシャヤをその妻子とともに今のスリランカ島へ追放したという。そこでは人食い民族(ヤクシャ族)が住んでいたが、ビシャヤは征服し新たにシンハラ王朝をたて開国の租となったという伝説がある。それは前483年のことと伝えられている。
現在大人気の観光スポットであるシンガポールという地名もサンスクリット語でシンガプラが訛ったものになり、「ライオンの町」の意味がある。もちろん現在ライオンはいないが、原住民の言い伝えによれば、その昔はライオンが多く住んでいたことによる由来であるという。そのほかにも別の説があるが、現実的で夢が無い。
初めてライオンが日本にきたのは慶応2年(1866)のことになる。それは正月のことで江戸の芝白金清正廊所門前の空地でメス一頭が見世物にされたようだ。
上野動物園に来たのは明治35年(1902年)の1月になる。その時はオスメスとも各一頭がきて珍獣あつかいされ大変な人気があったという。これ以降は度々渡来するようになり、国内で繁殖も行われるようになった。
日本の狛犬はライオンがモデルになっている。もともとは中国の伝説の珍獣「獅子」から由来しているが、「獅子」とは西域諸国に産し、百獣の長としてトラやヒョウをも食べてしまい、体色は黄金色、または青色をし頭が大きく、尻尾が長い。そして、一日に500里を走ると言われている。これは、インドやアラビア地方に生息していたライオンを指していることが推測できるようだ。日本にもその伝説が伝えられ中国伝来の風習が伝わったとされている。
さらに日本最古の民族芸「獅子舞」も獅子の姿を借りて邪悪なものを祓う儀式として奈良・平安期に中国(唐)からもたらされたという。
現在、ライオンの個体数は激減している。
原因は伝染病での大量死になる。これはライオンの社会構造が関係しているらしく、生態では、ライオンは群れで生活し、餌も同じ餌を全員が食べる。そのときの死骸に伝染病があった場合では防ぎようがないのだ。このようにして、大量死した例がいくつもあるという。
また、オスライオンのたてがみが人間のハンターに狙われていることも原因の一つになる。グループをもったオスをハンターが殺してしまえば、残されたグループに新しいオスがやってくる。このオスがグループの子どもを殺してしまう習性を持ってるからだという。これは、一匹のオスを撃つことで数頭のライオンが死ぬことにつながっている。
タンザニアのンゴロンゴロクレーターでは周辺に人口が増え、外からの新しいオスが入ってこれない状態になったという。これにより、新しい遺伝子の多様性が失われ、ライオンたちは近親交配を繰り返すことになった。結果として繁殖力が落ち、免疫系も弱くなったという。
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