夢見ヶ崎の由来






昔々、室町後期の武将太田道灌(江戸城を建築した人)がこの土地に城を築こうと陣を敷いた。だが、太田道灌はその夜夢の中で一羽の白鷲が現れ兜を持ち去る夢をみたことから、道灌はその夢を不吉だと思いこの土地に城を築くのを諦めてしまった。その後、太田道灌が夢をみたことでここの地名が夢見ヶ崎と名づけられたという。では、もしもその夢が縁起の良い夢であったらきっと今頃江戸城と同じような城が残されていただろう。ちなみに道灌は白鷲が落とした兜の地へ行きそこに自分の兜を埋めたという。今も横浜市駒岡(兜を埋めた土地)には兜塚の碑が残してある。

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